2023年になった。休みの間もずっと純喫茶のことを考えていた。正しくはそこに紐付く「昭和」の好きな要素について。惹かれるのはどこか気の抜けているところで、生死に関わる選択でなければ、多少の楽観は必要と思える点であるかもしれない。刹那的としても珈琲を飲みながらそんな思考が隅にあるだけでも気が楽になる。