純喫茶ジャーニー 難波 里奈

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純喫茶ひといきメモ

2022.12.29

まもなく2022年も終わる。12月は毎年少し緊張する。区切りのよい月ゆえか「閉店」の文字を耳にすることが多いから。純喫茶に限らず、いろいろな事象は自分を通過していくのが世の常と思っている。悲しんでも楽しんでも消えてしまうなら、せめて今までそこにあってくれたことに感謝して、たまに思い出していけたなら。

2022.12.17

部屋には、閉店した純喫茶から譲り受けたものがたくさんある。その中のひとつ、珈琲豆のテーブルや椅子もそう。自宅での作業はそこで行うのだが、PCを使用するにはどうも高さが合わない。そこではっとする。純喫茶とは寛いでぼんやりする場所だったことを。そんな言い訳を自分にして、手を止めてのんびり珈琲を飲むのだ。

2022.12.14

2016年に「純喫茶、あの味」という本を出版した。明確なマニュアルがある企業の店と違って、個人経営の店は閉じてしまえばその後何かが継承されることは多くない。そんな思いから生まれた本だが、消えてしまうとしてもその記憶がある人たちによって形を変えてどこかで生まれ変わっているのかもしれない、と最近は思う。

2022.12.11

「チェーン店やカフェには行かないのか」と聞かれることがあるが、用途や時間帯によってもちろん利用する。単に研究対象が昔ながらの純喫茶であるのでメディアでは特に言及はしないが、それぞれのスタイルの飲食店に敬意を持っている。ただ、日中に30分あって選べるのであれば1軒でも多くの純喫茶を見たいと思うのだ。

2022.12.02

混雑していない純喫茶の扉を開けたとき、店内を一瞬で見渡し、どの席に座ろうかすばやく判断するのはとても楽しい。基本的には壁を背に、空間全体を眺められる端の席を選んでしまう。また、先に居た人と視線が合わないような席を選ぶのも自分的には大事。誰かが入ってきた時にその人がどの席を選ぶのか想像するのも面白い。

2022.11.25

名曲喫茶は扉を開けるのにいつも緊張する。特に初訪問のお店の場合、自分勝手な振る舞いをしてその世界観からはみ出さないようにしないといけない。適切な滞在時間というものも未だ不明で先日40分程してお会計をお願いしたら「もう帰っちゃうの?」と言われたことがあった。まだまだ学ぶべきことがたくさんあって素敵だ。

2022.11.20

都心の賑わうお店とはまた違って、中心地から少し離れたお店でしみじみとその素敵さを感じる時、だいたい常連さんたちの雰囲気も良いことが多い。長い時間その空間やお店の方を愛していて空気のように主張しないのに、ふらりと訪れた一見の人たちを包み込むようなさりげない気遣いに触れるとき、更にそのお店を好きになる。

2022.11.16

純喫茶巡りをしている中で聞く、「閉店」という言葉にはなんともさみしい気持ちになる。同じく「移転」という言葉も。建物でも人でも、重ねた年月の分だけガタがくるのは当たり前のことで、メンテナンスが必要となる。分かってはいるけれど、その空間をまるごと持っていけるわけではない切なさに勝手に想いを寄せてしまう。

2022.11.12

雑誌の整頓をしていて数年前のものを見ていたら、そこには何度も訪れているのに現在はもう無い店たちが並んでいた。「もしタイムスリップするならいつへ?」という空想をするのはとても楽しいが、紛れもなく今この一瞬が最新で、すぐに過去になってしまうことを思い出した。出会ったらいつでも扉を開けられるようにいたい。

2022.11.05

何事も長く続けていると、好きの種類や方向性が変わってくる。例えば訪れたいお店への向き合い方。かつては「喫茶」と名のつくもの全てに足を運びたい気持ちで、そこに焦りもあった。しかし、何度も訪れたいお店も多く日によって行きたい場所も違って、これからも重ねていく趣味なのだからマイペースに巡っていこうと思う。

2022.11.03

六本木アマンドの2階へ上がる階段には、アマンドにまつわる懐かしい品々が飾られている。灰皿、マッチ、メニュー表、ちらし、シールなどがあった。その中に「夜のアマンド」というタイトルのソノシートもあって、その歌詞がとても良かったので、当時の六本木に想いを寄せながら珈琲を一杯、のひとときはいかがでしょうか?

2022.10.29

「ずっとそのままで古いだけよ」。素敵だと思ったお店で感想を伝えるとたまに返っている言葉だ。時間が経てば何でも古くなるのは仕方がないことで、積み重ねた日々によって飴色になった空間を、特に純喫茶については好ましく思っている。これから新しく造られるものとはまた違ったそこにある愛しさにずっと魅せられている。

2022.10.22

凝ったデザインのメニュー表も素敵だが、店主によって書かれた文字のそれを見つけると愛おしい気持ちになる。例えば、神田 エースでは清水マスターが描いたイラストや文字が店内に散りばめられている。写真は西荻窪 どんぐり舎の入口近くかの2人掛け席の壁に貼られているもの。その味わい深さに見惚れていつも眺めてしまう。

2022.10.19

ふらっと入った純喫茶で出会えたら嬉しいのは、「あの」懐かしい占い機。自分の星座に合わせてから100円を入れてぐるりとレバーを引く。カランと音を立てて飛び出してくるまあるいカプセル。小さく折り畳まれた紙にはその日の運勢やラッキカラーが書かれていて、そんな遊び心がいつもの喫茶時間に色をつけてくれるのだ。

2022.10.08

閉店してしまったお店から譲り受けたカップたちが増えてきた。カップの数だけ、そこで過ごした記憶と交わした言葉がある。「喫茶 あまやどり」と名付けた自室の喫茶空間でそれらを取り出して、さまざまなお店から取り寄せた珈琲を淹れて口に運ぶ瞬間。今はもうそこになくとも浮かぶ顔と思い出があるだけでじゅうぶん嬉しい。

2022.10.05

自分でも笑ってしまうほど、毎日純喫茶のことばかり考えている。例えば、先程は今までに頂いてきた大切なマッチたちをどう保管したら美しく探しやすいかをいろいろと思案していた。写真は新中野にあるエイトのマッチ。こちらをデザインされた小池一夫先生も、通っていらしたさいとう・たかを先生ももう居なくなってしまった。

2022.10.01

少し前の台風が過ぎた翌日。気温がぐっと下がって、その日入った純喫茶ではあたたかいウィンナーコーヒーを飲んだ。なんとなくそこから自分にとっての秋が始まった気がする。それまでは条件反射のように「アイスコーヒー」と口をついていたのに今は美しいカップたちが掌の中に。本日10/1は「珈琲の日」。素敵な一杯を。

2022.09.29

純喫茶でのマナーについて質問されることがある。基本的には周りの人たちに迷惑をかけなければよいと思うが、その基準は人によってそれぞれ。お店の人の大事な空間にお邪魔しているのだから、想像力が大切だし、配慮が必要だと思う。私は「好きな人や憧れの人に見られて恥ずかしい振舞いをしていないか」を目安にしている。

2022.09.24

ふと入った純喫茶で目にしたものが、自分の暮らしのヒントになることがある。例えば、山梨で出会ったお店のカーテン。日中、開けておくために使用するのはなんとなく同布だと思い込んでいたが、こちらは細いチェーンのような金具で留めていた。時間を経て色褪せたそれがとても美しくて、帰ったらすぐに真似しようと思った。

2022.09.21

続き)それを純喫茶観察に活かすとすればどんなか考えてみた。残念ながら、店内では天井より高い位置をキープすることはできない。(たまにある吹抜けから下を見るのはとても興奮する)しかし、タイミングによっては隣り合わせる人たちが変わっていくので自分は定点にいても車窓のように見える景色が流れていくのが面白い。

2022.09.17

走っている電車の窓から見える景色というものは情報量が多くて面白い。一瞬で過ぎ去ってしまう視界の中から、自分が気になったものだけを切り取っていく。乗車場所や天気、時間も関係して、毎日眺めていたとしても見える画が変わる。徒歩であれば平面が多いが、普段いることのない予期せぬ高さに目線がある興味深さ。(続

2022.09.15

元町・中華街で打合せがあり、帰りにホテルニューグランドのザ カフェに寄った。ナポリタン発祥と言われているお店。ケチャップの量や麺との絡み具合、具のバランスも美しく、皿がすぐに空になるさすがの味わい。とはいえ、高級なナポリタンも純喫茶で頂く気楽なナポリタン、どちらも美味しいのがナポリタンの素敵なところ。

2022.09.10

続)例えば、珈琲。今は自動販売機やコンビニエンスストア、チェーン店でさっと済ますことも出来る。それでも誰かが時間をかけてじっくりと水滴を落とすのを眺めていたくなる。どれだけ技術が発展して時間短縮できるようになったとしてもその空いた時間を好きなことに費やす贅沢はこれからもなくなったりしないのだと思う。

2022.09.07

世の中がすごいスピードで便利になっていく反面、どこか不便だったり手間のかかることを自ら探し求めたりもする。スマートフォンがなかった頃のことをもうはっきりとは思い出せないけれど、待合せをするときに工夫を凝らしたり、手紙を送ったりそういうことをわざわざしたくなると言うのはどういう現象なのだろうか。(続く